川面先生御生家の写真に就いて(一月号よりつづく)

川面先生御生家の写真に就いて(一月号よりつづく)

 

飯峰生

 

先生は子供の時からの禊好きであった。

このとき突然甥を伴れて妻女の生家から戻って来たのを見た千秋氏は怪しんで「お前どうして子供を伴れて来たのだ」と訊ねて見ると、おとなしい女性の妻は静かに顔を挙げて、委細の事情を打ち明けた後に「今度こちらに出来る学校に通わせて勉強させてやる約束にして伴れて来ましたから、先づあなたさまに何分よろしくお願ひいたします」と云って諒解を求めると、書見中であった夫は静かに巻を掩ふて快く承諾し「オゝそれはよく伴れて来た。おなじく親戚の中でも、川面家には今日まで非常な世話になって居り、今後に於いても万事に付けて頼りになって貰らはねばならぬ家に取っては大切な関係のある家だから、こちらの力で出来ることはどこまでも尽くさなければならぬ。あちらでさうした訳になれば、今後この子は当分の処家に引き取って独り読み書き上のことばかりでなく、教育上の責任はこちらで一切請け負って立つことにして一通り目の見える人間にして返してやることにしやう」と千秋氏は力を入れて今後先生を大切に教育することになった。

先生の身に関して、夫婦の話の終わった後で、千秋氏は物静かに「それでは恒次先づ何より先にお前に行って聴かして置かねばならぬ大切な事があるからこちらにお出で」と云って親しく先生の手を執って、その家の御神前に行かれたが、先づ自分で先に恭しく拝神せられた後、先生にも拝神させ、それが終わって後に坐を与えて相対し「お前も委細の事情を知って居るだろうが、お前の村ではいい学校がないから、今後は当分お前の身をこの家に引取って家から毎日兄さんと一緒に通学させて勉強させることになったのだが、これについてはお前に予め承知して居て貰わなければならぬことがある。それをわしが今お前に云って聴かせて置くから、それだけのことを、今後必ず日夜ともにお前に行って貰わねばならぬがよろしいか」と伯父さんはやさしく言って聴かせて、少年の顔を見るとマルマル肥って円い色の白い顔をした義理の甥の恒坊はおとなしく身を構へて、伯父さんが自分に対して言い諭す所を聴かんといふやうな顔をしてゐたのでした。

すると、伯父さんは又静かに「お前これまで家にゐた間はお父様とお母様との云ふ事をよく聴けば、それでよかったのであるが、今度はお前の身の様子が変わってこの家に来て暮らすことになったのだから、今後は伯父さんと伯母さんの言ふ事を万事ともよく聴いて、毎日出来る丈愉快に面白く暮らさねばならぬがよろしいか」と云って聞かせますと、少年はうなづいて、承知の旨を答へたのでした。

千秋氏は情の人であり、又子供好きの人であったので、さも満足そうに微笑を含んで、少年の頭を二つ三つ軽く撫でてやった後で更にまた言を起こし「それからも一つお前に承知して貰はねばならぬ、何よりも大切な事がある。それは外でもない、お前の家はことにお母さんが寺の家で生まれた人で、熱心な佛教信者であるので、子供を育てるにしても佛教を以て教育の根底にし、朝夕二度づつは毎日必ず佛を拝まねば御飯も食べさせぬやうにしてゐるやうだが、この溝口家はお前の家と違って神道であるので、上は主人夫婦を始め、下は下女下男に至るまで朝夕必ず先づ神様に向かっておまゐりをした後で無ければ食物に向かって箸を下さぬことに昔からなってゐる。それ故にお前も一時仮に個々の家族の一人になった以上は毎日少なくも朝夕二回づつは伯父さんやお兄さんと一緒に個々の御神前に来て拝神した後でなければ、何事に向かっても手を下すことは出来ぬ。どうだ恒次や、伯父さんの云ふ事がお前よく心に分かったか。マア明日から二三日の所は伯父さん達に附いて来て皆のする所をよく見てゐるがいい、その中には伯父さんや兄さんが祝詞の読み方や拝神の仕方なども良く教えてあげるから、それからも一つお前が予め覚悟してゐて居らねばならぬ事がある、毎朝御神前に出る前には先づ井戸端に行って水行場で水を二三杯づつ浴ってみをきよめたのちにはいしんすることにしなければならぬが、どうだお前はそれも出来る決心があるかどうか。敢てなし能ふ決心があれば好し、さもない事にはたとひ一日たりともここの家に置くことは出来ぬから、又あの山の中の寂しい片田舎の村に帰って行かねばならぬがどうだ」と折り掛けて訊ひて見ますと、寒中に朝早く起きて水を浴ぶると聞いて驚くと思ひの外、いたづらものの少年は、却ってそれを面白がるやうな顔つきをして、「ハイ伯父さん私水を浴びるのは大好きですからいくらでも浴ぶりますから、どうかこのまま永く伯父さんの所に置いて下さい。もうあんな田舎の村に帰るのはいやです。」と元気に満ちた顔を見せて言語明らかにハキハキと男児らしく答へると、古神道家の伯父さんは喜んで「この小僧め、親爺によく肖て愉快な奴だ、どこまで行くか一番俺の手にかけて神道を仕込んで見やう」と言ひも終わらず両手をたたいて、たびたび天を拝した後最早このままいつまでもこの少年を我が手許に長く留めて置く事になったのであった。

これはその翌日で、時しも寒四郎の朝のことであったが、千秋氏が真っ先に起きて「おい潤太もう夜が明けたぞ、サア拝神しやう」と言ひながら潤太氏の着て居た布団を引っ剥ぎ、二人打連れ立って前の水行場に行きながら「おい恒次お前も一緒に出て来て見て居ろ」と声をかけると、負けん気の少年は布団を動かし、むくと起き上がり、二人の後を追ふて井戸端に出て見ると年齢最早六十に近い千秋翁は寝巻の帯を解いて寝巻をくるくる縛るが早いか、母屋にほり込み、清身野鶴の如き色の白い瘠せた脊の高い体を朝寒の戸外に現わし、大地を踏んでスックと起ちたと思ふが早いか、カラカラと釣瓶の音を発てながら水を汲み上げたと見る間もあらせず、右の肩のあたりからザンブとばかり全身に打ち浴り、今度また一杯なみなみと汲みあげて左の肩から一気に浴り、最後にまた一杯汲みあげてうがひを二三度したと思ふと今度は胸の真ん中の胸骨の辺りにザンブと浴り、また一杯手早く汲みあげて今度は臍のあたりにザンブと浴った後で、乾わいた手拭で拭き始めると従兄潤太氏も父の為す所に倣って全身に水を浴って身を潔めた後、白衣を纏って御神前に進み父子前後して席を占めると、父なる人が鈴を鳴らして手をたたき、声も厳かに大祓の詞を称み出すと、潤太氏もそれに和して父子諸共大祓の詞を読み終わり、今度は天の鳥船運動を根太も揺るげとばかり行った後で声を限りに雄詰び雄健べば、始めてこの壮観に接した田舎出の小僧さんは不思議な思ひをしながら二人の為す所を一心不乱に見つめてゐた。

あたりの感化のいたすところか、但しは又「汝世に出てこれを成せ」云ふ仰せを受けて出て来てゐた為であらうか、かうした事からしてこの不思議なる少年は、自ら進んで熱心に神の道を学び、神を求めるやうに神ながれに流れてゆくのであったが、この時伯父なる人の命ずるままに、彼は毎朝二人の後に附いて行って、熱心に、その為す所を見てゐる中に、自分も一緒に水を浴って拝神をしたり、或いは元気よく手を振って鳥船運動をしたり、又は雄詰び雄健びを十分に行って見たくてたまらなくなって来た。

内に燃ゆる所あるものは、いつか表に発せずには居らぬ。見よ、ただ一粒の籾であっても中に或る熾んなものを蓄へ含んでゐる以上は、時節は逢へばそよそよと八月の風の通ふ色も緑の苗となり、田に移されては稲となり、終にそれが幾百万石の米を生ずるやうになるではないか。人間の一生も或いは又かうしたものであるかも知れぬ。どんな偉人の光彩を以て光り輝く大生涯にしても、その発展期に遡って調べて見た時は、誰も皆その多くは僅かに眇たる一粒の籾の時代があったらしく思はれる。

他人については、別にここに記す必要もないから吾人ははだ本篇の主意に就いてその籾の時代の事蹟を幾分ここに記して広く世人の参考に供したいと思ふ。言を換へて手っ取り早く言へば彼は幾多のかうした行路を経て来て、その教えを開かれたのであった。少年恒坊は伯母さんに伴れられて、溝口家の家庭の一人に加はってから、毎朝一週間以上も二人の人のする所を熱心に見てゐた中に、終には自分でもその人達と同一の行事を行らずには居られなくなり、或る時伯父さんに向かって自分の希望を明かし「伯父さん私にもどうかもっと教へて下さい」と言って頼んで見たら勝れて鼻の高い眼の鋭いチヨン髷の伯父さんは快くうなづいて「よろしい、それでは吾が今度宇佐に行った時、本を買って来て教へて行ることにしやう」と明らかに答へたので、少年はただ伯父さんが宇佐神宮に参拝するのを心の中で待ち焦がれてゐたさうである。(未完)