禊の誕生(3)

禊の誕生(承前)

川面先生と奈雪鐵信翁

鬼谷僊史

 この神聖なる壮挙の実行せらるゝことを聞き伝へたる男女同人は、我も我もと先きを争って先生の許に押しかけ「先生どうか私も今回のお禊にお伴れくださりますやうに」と云って参加を願ひ出づるものが大勢ありましたが、先生は心窃に思召す所がありましたので、悉くこれをおことはりになりまして斥ぞけ、ただ一人奈雪鐵信翁のみをお伴れになることになりました。

これはどうした訳かと申しますと、翁は人となり摯実にして且勝れて信神の心深いのが、川面先生のお眼鏡に叶って、そのみ教の御直伝を受けることになった訳でありました。翁も深く感謝すると共に「全く神様の有りがたい思召しだ、仇やおろそかに思っては相済まぬ、左れば今度此節こそ、親しく先生にお就き申して、神道の極意を究め置かねばならぬ」と心窃に喜び勇んで居た折柄、ここに飛んだ障碍が起って来て、危くも翁の企図を阻止しやうとするやうな事変の翁の上に起って来ましたことは、これまた実に意外な次第でありました。

この時、先生は四十八歳、奈雪氏は五十三歳で、まだまだ元気全く衰へて居らぬ頃でありましたが、さて先生と一緒に御同行するお約束が成立しまして、いよいよ出発の期日に近づき、奈雪氏は大に喜んで居られました甲斐もなく、それに先き立つ四五日前から不図したことで感冒にかかり、発熱甚だしくて、四十度に上り、囈語を発すること頻りにして、この体で荒海に禊するなどは到底思ひも寄らぬ事でありました。世間普通の約束事ならば、使を以てかやうかやうな次第で、身心全く疲労し尽くし、今回の処は残念ながら到底お伴は出来ませんから、相済まぬことながらおことわり申します」と云ってお断りする所であるが、今回の事は、世間普通の人事ではなくて、神事のことであるので、翁は病苦を忍んで、杖に縋がって自分自ら先生の許にお詫びに出かけ「かやうかやうな次第で残念ながら尊いお伴ができませんから今回はお断りいたします」と云って手拭を出して額の汗を拭くと、先生はつくづくと御覧になると、如何にも強度の発熱らしく、世間普通の人間であれば到底一足も動けたものではない、この男なればこそ自分で態々ことわりにもでて来たのだと考へられて、いよいよ人撰その人を得たものだと喜ばれ、面を和らげられて、奈雪氏を慰藉して云はれるには「ナニ決して心配されることはない、人事と違って神事なるが故に決して危み惧れぬがよろしい、それは有り難いもので、一日か二日も禊すれば、その熱も取れ、同時に下痢も止まって了うであらう。ただ君独りではない。吾もまた日夕の馳駆の為に所労の甚だしき為か、熱が今日は四十度に近く、加ふるに劇しく下痢もして居る、然れどもこれ唯人間としての苦痛に過ぎぬ、一たび進んで神境に入れば苦痛は忽ち除かれて了う。決して心配しなさるな、少しも惧れることはない。先日の約束通り、サア行かう、イーヱッと発声一番、先生に激励せられて、相共に伴れ立ちて稜威会の門を出で、紛々と降り荒ぶ雪を潜って新橋駅頭に着いた頃は、積雪既に尺余に及び、一面唯見る白皚々たる光景であった。二人は本部の役員松澤磯雄、大木梧樓の諸氏に見送られて、意気軒昂、身振い一つせず心の中で叫んで曰く「何のその雪も氷も消えぬべし雄走る神の我が稜威には」と。

かくて藤沢にて電車に乗り換へ、へ、予程の禊の場所たる片瀬に着く、直に山口の旅館亀屋に入られた。(以下嗣出)

 

 

コラム

神道の極意

日本神道の極意に徹底すれば、水も火となし、火も亦水となし得るばかりでなく、吾人の体躯も亦、水に入りても溺れず、凍へず、火中に入っても焚くべきものないと云ふ、体験を得るに到るものである。精神的に溺れず焚けざるのみでなく、肉体的にも溺れず焚けざることを得るのである。霊肉一体は日本神道の大信念にして、禊の極意は断然ここに到達する。

 

 

(稜威会機関誌『大日本世界教』昭和七年八月号より)