庭山信郎先生談 (川面凡児先生三十年祭記念会報より)

<御参考>

庭山信郎先生談(*1)

ずっと引き続き戦争中まで禊をさしてもらった一人で、新潟県の寺泊で新潟支部の禊を継続して参りました。その間に先生がしばしば奇蹟ともいうべきことを我々にお見せになりまして、世にいわゆる霊能者、心霊学者と云われたそれらの人々と比較して、実に驚嘆に堪えないものがありました。これらのことは既に金谷君の伝記(*2)にも書いてあるので、ここではただ一つだけ金谷君の著書に書いてないものに触れてみたいと思います。

毎年一週間づつと先生からご指導を願えたのに、その年に限りまして、信州に寄っていかなければならないから一日だけ早く返してくれよというお話で、私共が先生を駅までお見送りいたしまして帰って参りますと、間もなく信州の戸倉から、先生今着いたという電報が参りました。これには流石にこちらも、びっくりいたしましてその後信州の方に聞きましたところ、先生は本当にその時着いておったのだと云う話でありました。先生が新潟を立たれると直ちに信州に行っちまったので、先生が着いたという電報が参りましたのが私共が見送りしてから三十分位の間にきたのですから、実にどうも奇妙なことを行われたと大いに感心して皆首をひねったわけでございます。斯かるえらい先生の直弟子であると云うことは、今日直弟子が少なくなり幾人もおられないので、私は家族に向かって自分は国宝だと云っているわけです。

どうも失礼いたしました。

(昭和34年7月発行、川面凡児先生三十年祭記念会報より)

(*1)庭山信郎先生は、新潟県で活動された直弟子の方です。「世界平和と幸福への道」の著者です。この談話は昭和34年2月23日に東京大神宮(飯田橋)で行われた、川面凡児先生三十年祭での追憶談です。

(*2)金谷真著「川面凡児先生伝」

 

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