軒のたち花(2)
軒のたち花(2)
飯峰生
二、川面先生会員某氏に処世の要訣を説かれた話
私の日記の語る所に依りますれば、これは今より十三年前則ち大正八年の春の末、時しも東京上野の桜があらかた散りつくして、つつじの花の色が日毎に濃くもえて行く頃でありましたが、小雨そぼふる或日の事に九州地方の出身に係る或る一人の会員が上野桜木町の旧本部に参拝せられて、先生のお部屋の二階でよもやまの世間話をせられた後、これも同じく会員の一人である某名士の行状に就いていろいろ非難を加へて「あの人にしてかうした事がなかったならば実に立派な人物ですが」など云って暗にその人の非を譏りなすと、先生は黙々として聞いて居られましたが、話の終わった後で「お話いかにも御尤で御座いますが、それにつきまして私は今貴下に璧と題せらるる 明治天皇の御製二首を記して奉りて差上げたいと思います」とおっしゃって、机にお向きになり、姿勢を正して敬意を表せられた後、筆を執って一枚の紙に璧
- 人みなのえらびしうへにえらびたる
璧にもきずのある世なりけり
ニ、宝ともいふべき璧はなくならむ
こまかにきずを求めいでなば
別に申上ぐるまでもありませんが大勢の人のえらびにえらんだ璧にもさがせばどこかにきずのあるものである、また宝とも云ふべき璧はなくなるであらうこまかにきずをさがしもとめたならばと仰せられたのでありせうが、いかにも 陛下の仰せられたやうに、人間も亦或は玉と見たやうなものかも知れません。何人に就いても瑕をさがし求めた日には必ずどこかに瑕のあるものでして、完全無欠な人間と云ふは、殆ど世の中に見出し難いことでありませう、それ故に世に処し人に交わるには人の長所のみ見て短所は余り見ぬ方がよろしい。「あの人はどうした点は寔に立派な人物であるがかやうかやうの点はいかにも好ましくない事だ」など云ふやうに、事こまかにその人の瑕を求め出したならば、終に世の中に宝とも云ふべき玉はなくなるであらう。で立派な人間は一人として得られなくなり事でせう。恐れながら 陛下も恐らくこの辺を仰せられたものであらうかと拝察し奉られるのであります。世に処し、人に交わるに、そんな狭い了見を持って居っては人も友も得られなくなるが為に、決して大事をなし得る事は出来なくなるでありませう。それ故に世に処し、人に交わるには成るたけ広い了見を以て人を撰ぶ事が処世の要道の一つかと考へられるのであります」と迫らず言ゆるやかに御忠告なさって話をお転じになりましたが、その人も非常に賢い人でして克く先生の御意中を悟り感謝の意を表した後厚く御礼申してその二首の御歌を先生の拝書せられたのをいただいて恭しく懐中し、またの日を契って帰って行かれました。これは本編記者の実見した話であります。
(稜威会機関紙「大日本世界教」昭和六年七月号より)