禊の誕生(4)

禊の誕生(承前)

川面先生と奈雪鐵信翁

鬼谷僊史

 この日の夕まぐれ、雪の小歇みになったのを幸に、先生は奈雪翁を伴はれて、怒濤天を拍つ相模灘の岸に出られ、第一期寒中禊の始禊祭を行はれると、海は荒れに荒れて風力益々強く、その中に赤裸々の蠟燭が青い竹の先きに燃えて居る有様は、如何にも神々しい眺めであって、これぞまさしく、あなたふと、大祓戸の大神のこの度の禊をば嘉みせられて、受け給ふのであったらう。面瘠せしたる白衣の教祖が、我が多年の宿志を果すのはこの時ぞとばかり、一心凝り固まって一個の至誠の結晶となられ、その御明りの前に跪づき畏みて、声高らかに読み奉つる祝詞の声は覚えず勇んで、何とも云へず、神々しひので、奈雪氏は覚えず教祖の後に平伏して「大祓戸大神、大祓戸大神」と一心に唱へ奉ってゐる間にも全身神威に圧せられるやうに覚えて、両眼から滝と流れ落つる感謝の涙を押へ切れずに居たのであった。

この夜遅くに奈雪氏は窃に宿屋の主人を人なき所に呼んで、前以てお前さんにお断りして置きますが、これから向ふ一週間の間に、此家の中にたとひどのやうな異状が起って来るやうな事があっても、決して驚きなさる事はないからして、少しも騒がず静に打っちゃって置いて下さいよ。決してここの家に迷惑をかけるやうな事は万に一つとありませんから、家内一同安心して居ていつものやうに朝まで安らかに眠ることにして居て下さい、少し思ふことがありますので、わざわざお前さんを呼んで予めこの事をおことわりしておくのですと、翁は予め亀屋の主人に断って置かれた。

事の実際を心得て居らう筈もない亀屋の主人は「ハテ何故にお客様はわざわざわしに向ってあんな事を御注意なさったのだらう」と心窃に疑って居ったが、勿論そんな事があらうとも知らう筈がなかったので、家族の者に向っても何等の注意する所もなく、いつものやうに平気で夜食を食べて、夜の九時ごろになると、平生の通りに床に入って寝て了った。

明くれば一月十九日、即ち禊の第二日と相成った、それと枕を蹴って起きれば暁星漸く地に落ちて、東方明けんとして居る。二人は例の白鉢巻同じく白木綿の越中褌(*1)、同じく筒袖(*2)の行衣一枚に、三尺の白帯を締め、白足袋を穿いて、口に神文を唱へ、声高らかに雄健雄詰びを為し了ると同時に戸外に飛出し、海辺を指して雄走り行けば、雪は板のやうに砂上に凍り固まって、その上に霜を積らせ、風は剣のやうに冷く且つ鋭く、明方の海は今朝も同じく荒れに荒れて、怒濤躍って天を拍ち、夏日炎天の際といへども、一寸飛び込み兼ねる有様である。とは云へ、此の行、尋常一様の遊参でなく、かうしたことも覚悟の上であったので、二人同時に音も高く裏響きするほどの八平手拍って、東雲近き東の空に面って、天津日の神と大祓戸の神とを拝み参らせつつ、声の限りに「イーヱッ、ヱーイッ」と発声しながら、波を分けてザンブとばかり海中に躍り入ったのは、我が身ながら勇ましき次第であった。

潜海後十分ばかりして岸辺に上れば、全身に吹きかけて体温を吸ひ去る風は、その名も高い愛鷹颪凛烈さながら針の如く肌に砭りして、今にも凍え死ぬるかと思はれるばかりである。

二人は顔を見合って怺へて手早く行衣を取って肩に打ちかけ着るが早いか拝神の式を畢り、ヱイヱイと雄健び神叫びつつ雪の上を飛んで宿に帰って来た。

この日即ち十九日の午前を以て、奈雪翁は先生より少名彦命の禁厭術の秘伝を受けることになった。二十日も前日同様に暁天から潜海して熱心に禊を行ると、先生の予言せられた通りに奈雪翁は熱もスッカリ取れて下痢も全く止り、人間の苦境から甦ったやうに蝉脱して、心身共に大にさはやいで来て、曾つて経験のない希望と勇気とが全身に充ちて来たので、何とも云へぬ愉快を覚え、これよりますます熱心に神を拝して修禊することになった。

 

コラム 世界無比の神儀

日本神代の祓禊を以て、頑固固陋なるものと思はば、それは学ばざる行はざる人々の想像臆断である。仏教者でも、基督教者でも、哲学者でも、一先づ我が門に入って、学んで行ふて見よ。而してその学びたる仏教、基督教、哲学等に比較して見よ。却て自家の頑固固陋なりしことを悟るであらう。日本神代の祓禊は人として神に達する空前絶後の一大神儀たることを知れ。

 

(稜威会機関誌『大日本世界教』昭和七年九月号より)

 

 

(*1) 越中褌 原文は続鼻褌

(*2) 筒袖 原文は筒砲

昭和二年一月二十日乃至二十六日大寒禊・片瀬

小さくて判別しにくいですが、中央の立っている白ひげの人が川面先生。その右・中村文山先生です。