文山見聞記(10)

文山見聞記(10)

 

中村三郎

 其の後多忙の為や、色々の事情の為に、久しく其の記事を中絶して居ましたが、諸方の同人各位より其の続きを出せと勧められますから、本号から復た予が先師の左右に仕事して見聞した事柄を本誌に載せることに致しました。

 

奇瑞

大正八年三月十六日、師は菊花学会の招聘に応じ、名古屋県会議事堂に一場の国体講演をなされた時の事、題は「建国の精神」師、論じ来り論じ去り、神国大日本の世界に対する大使命について、万丈の気を吐き給へり。此の際壇上の師、身辺に金色の光彩生じ、頭上尺余に紫紺の霊瑞靄く。壇の背壁、白亜なるが故に、能く是の瑞祥を観収し得たり。予は、我が眼のワザに非ずやと思ひ、幾度か眼を拭ひ気を取り換へて見直したれども、依然として存す。大獅子吼中の師、其の心や不動、其の意気や豪、其の身や泰然。講演了りて旅館丸文に帰り、予は師に這の事を語る。師曰く、「見へたか、さもあらむ」。

 

非思慮底の思慮

三月二十一日夜、予問ふ。道元禅師の所謂る「非思慮の思慮」とは如何。

師曰く、非思慮は和身魂なり。思慮は奇身魂なり。他境に触れて未だ分別の生ぜざる時を非思慮と謂ふ。是の非思慮底の思慮を発見したる道元は、仲々偉い。彼の一生は、慥に非思慮底の思慮三昧なり。然れども是の非思慮底のみにては、活大会の活大事は出来ぬ。

 

幽霊の種類

四月六日、師、禊会の席上にて幽霊談あり。曰く、

  • 幽霊の出づるや順序あり。始め青白き指頭大の火団に過ぎず。其の中に顔顕はれ、次に上半身となり。次に全身に化す。
  • 幽霊に七種類あり。(1)ただ直覚的に何となく淋しい感を起こさすもの、(2)変異のみを顕はすもの、(3)姿を顕はすもの、(4)声のみを知らすもの、(5)声と形とあるもの、(6)身に触れることを得るもの、(7)生前に少しも異ならざるもの、是れなり。
  • 幽霊は夜のみ出づるにあらず。昼と雖も顕はれ居れども、日の光線強き為め肉眼を以ては見能はざるのみ。
  • 殺人犯には、其の殺されたる者の幽霊が絶へず附き添ひ居るが故に、一目して直ちに其の殺人犯なることを知る。犯罪を詮議だてしたり、証拠品の取り調べなどは無用の事なり。又写真を撮れば、其の附き添ふて居る幽霊も映じ来るものぞ。
  • 人を殺し、禽獣蟲魚等を殺すも、其の生命は殺す能はず、奪ふを得ず。故に若し己を得ずして殺生せば、直ちに其の霊魂の憑かる処を与へて之を祭祀し、供養せざるべからず。是れ幽界、霊界を安んぜざれば、単り顕界、人生の治まわざる所以なり。祭政一致の要厳として爰に存す。

 

(稜威会機関誌『大日本世界教』昭和六年十二月号より)