文山見聞記(8)

文山見聞記(8)

中村三郎

 

六月二十一日、本日来訪した瀧本中尉から、容易ならぬ大事を聴いた。それは、

猶太民族が、嫉妬と怨恨憤怒とを晴らさむが為めの、残忍非道の大陰謀の秘密書の一件で、その内容は真に世界人類の為め、正義人道の為め、慄然たらざるを得ない。その秘密書が、此頃○△○○○○の手に入っては居るけれども、之を今、世界に発表したならば、それが国家及び世界人類の幸福となる歟、若くは却って惨害ともなりはしない歟が、その筋の問題となって居るので、川面先生の御考は如何であらふ乎とのことである。

予竊かに這の事を師に御伺ひした所『あーその事か、その事ならば、俺は以前から知って居る。併し今之を発表すると大変である。今の処は、唯だ内々で之れに対する準備と力量とを養ひ、之れに処する手段と方法とを講究して置くに限る。併し吾が胸中已に成案あり。幸に安心して可なりと。予曰く、神聖なるべき宗教の裏面に、血腥き陰謀が潜むで居るとは何たる不埒なことでせう乎。曩に□□開宗の陰謀を聞き、今又這の事を耳にす、吁々油断もスキもなりませぬな。師曰、宗教の裏面に恐るべき陰謀の伏在しないものは、仏教のみ、回々教の如きは猶太教よりも更に甚だしいものがある。だから何んでも迷信してはならない。

六月二十二日、此頃会員の一人より師に手紙を寄越した人がある。師は丁度御多忙の折柄で、之を予に一見することを命ぜられた。之を一読するに、其の情綿々、其の心切々、此の感激と感想とは、独り当人には限らない。苟も師に接し、師に聴き、祖道の一端でも窺ひ得た程のものは、内外人の別なく、誰人も等しく抱く感懐である。其の文に曰、『拝啓先日は御多忙中に参上、長座致し洵に失礼の段、平に御宥恕給度候。御神号、早速表具屋に廻し申候。御陰で、道場の格式が一層引き立ち可申候。次に先達而御話申上たる基督教の書中、松村介石の書いたもの一部御送り申します。此の外、全く神道を知らざる身分でありながら、神道を悪口した書物が色々ありますので、注文して置きました。先生、私は実に雑念の多い男です。然し何うかして我が祖道の根本を闡明したいと心掛けて居ます。と同時に、国民は固よりのこと、世界の總ての者にも、我が祖道を知らせて遣りたくて耐りませぬ。然し、我等如き不徳、無学、菲才、貧窮では何とも出来ませぬ。何日でも斯ふ思ふと残念でなりませぬ。然し私は、先生の高著に対する時丈けは、何だか世界が広くなった様な、而して自身までが偉くなった様な、又非常な富豪になった様な気分になります。而して身躰がぞくぞくして嬉しさが込み上げて参ります。私は昨夜も日本最古の神道と世界教宣明書の序文を読みました。何だか躰が押へ付けられる様な気持ちになると同時に、一方には、自己―日本―国家―世界―天地―宇宙と云ふ様な関連一体したものに拡大されまして、知らず知らず悦しさに涙が頬を伝って流れました。先生、真くですよ。而して此の宏大無辺の学徳、人徳、神徳を養はれた先生の大きな大きな或物が、眼の先に現れて来ました。而して私は、先生の御歳を想像しました。怎しても先生丈けは永久に死なせ度くない。此の大人が此世から去られることは、日本の大損失は勿論、世界人類、人生宇宙の大不孝である。原敬は復た出て来るだらふ。加藤高明も伊藤博文も、大山も山縣も西郷も松陰も・・・併し川面凡児先生は復た二人とは此世に出て来ぬ。先生の霊は永劫々々尽きず滅せずでせうが、併し先生の肉はまた再び得られませぬ。何うか先生御身体を大事に大事に遊ばせ。否、先生に病気などはありますまいけれども、何うか百年、百五十年、二百年、否永劫尽くるなく活きて居て下さい。而して、日本国民と世界人類を救うて下さい。宇宙万有を照して下さい。私は又怎うにかして先生の御寿命を永劫に続かせ度いものと想ひ、何時までも何時までも死なせ度くないと深く深く心に思うて泣きました。私は昨夜、何故か切りに、先生の御身の上を思ひ出して深更まで考へ込むだのでした。御忙しい先生に何にも斯んな愚痴を長々と申上るには及ばないのですが云々(下略)

 

(稜威会機関誌『大日本世界教』昭和五年七月号より)