文山見聞記(5)
文山見聞記(5)
中村三郎
◇功罪不償
師一日、食後の漫談に曰く、
予が曾て肥後に遊んだ時、地方到る所に猿田彦大神の御名を記した道標が建ててあるを見た。その後今日まで日本国中を巡歴したが、如何なる山奥の勝地や、津々浦々の寒村に至るまで弘法大師の遺蹟が標されて在るのに驚く。固より、この悉くが必ずしも大師と直接関係があったのでもあるまいが、後人が如何に弘法を敬慕しての所為であると知らるる。従ってその反面には、彼が如何に偉大なる努力と熱心とを以て、我が祖国精神を能くも片ッ端から破壊して歩いたものと転た残念で耐らぬじゃ。又或る時、某地の観音菩薩の背銘を見るに、和魂漢才の先覚者たり、大学者たる菅公ですら、我国を以て東海の粟粒ほどの小島国だと誤解されて居ったやうだ。是で当時我が朝野が如何に支那印度に化かされ、一生懸命に祖国精神の討滅に妄動したかが知れよう。
◇成功の秘訣
師、常に誡めて曰く、
人は何事でも、他の気付かざる裏に、密々研究せよ。黙々準備せよ。悪事に善敵あると共に、如何なる善事にも亦悪敵あるものぞ。敵は我が事を妨げ、我業を破る。況や仮令他の妨害なくとも既に其の事業を口外する毎に、事業の生気と精魂とは、徒に音声化して空中に飛散し尽くして不成功に畢るものである。故に我が民族は古来、言挙げせぬ国とて、実行実顕を尚び、徒に言挙げすることを卑しむだ本意が判ったらう。
◇御能の元祖と其の奥儀
御能の舞は聖徳太子の秘書秦河勝の創めたものである。原は、神楽から出たものだ。技の奥儀は、中心を養ふに在る。
◇神は先んじ佛は後る
予、一日、師に問ふ
予曾て某友より聞くに、国家に大事ある時、諸神衆仏、悉く馳せ集りて国難に当たるを常とす。此の際、神は總て空を歩みて先んじ、仏は多く地中を潜って後ると、果たして然るや。
師曰ふ、然り。国難に当たりて神集ふは真実なり。仏と雖も参加するもの多しと。
予更に、神先んじ仏後るの理由を問ふ。
師、仏は服装長ければ後るなりとて、呵々大笑し玉ふ。
予、又問ふ。我国の諸神衆仏は、国難に際して之に趣くと云ふに、外国に是の事なきは如何。
師曰く、外国には、生々万生、護国の神たる教なく、生死一貫、万世不易の信仰なし。信仰なく教えなきのみならず、彼等は、自己の国家とを相対的に考へ誤れる結果、我に死を強ひたる国家を怨みて去れり、我、国家のために犠牲になりしを悲しみて遁ぐ。故に死後に於いて、其の和身魂が焉んぞ護国の神となり仏となりて活躍することを得んや。
我が忠勇の将士の戦場に於けるや、其の苦憫の断末魔にありてすら、猶ほ君国を忘れ難く、唯だ 天皇陛下萬歳を叫んで瞑目す。其の死に際して怨みなく、悲しみなく、又少しの執着なし。唯だ尽忠報国的信仰の外、淡然として一物の暗影なく迷妄なし。是の公明にして虚霊、正大にして無妄なる所、死して護国の神となり、生まれて忠孝の臣子たるは当然なり。
(稜威会機関誌『大日本世界教』昭和五年三月号より)