大御名奉唱要旨

秘儀 “大御名奉唱”

川面凡児先生遺稿

謹んで本書を心ある方の机上にささげます。

 

“大御名(おおみな)奉唱”この他に秘事なし

浜垣琴堂

 

『天御中主太神』の大御名を、川面凡児先生は前々から奉唱されていました。

この他に秘事は、何もございません。

大御名奉唱そのことがすでに秘事で、『天御中主太神の伝』と申されていました。

先生は特定の門弟にだけ、大御名の奉唱を一日二千遍せよと教えられていました。四千遍なら二日分で、一日分の貯蓄です。

先生は沢山貯蓄されていて、ずっと先の日付まで手帳に控えられており、私も盛んに奉唱していた頃は、夜中でも、夢うつつでとなえていたものです。黙唱でもよいのです。

今死ねど のこす恨みの無きまでに おのがその日のことおさめ置け

ひめ置きし 玉の小琴を奏ずれば とどろとどろと 天地鳴るも

凡児

 

 

秘儀 “大御名奉唱”

川面凡児先生遺稿

『天御中主太神』ととなえまつることは

宇宙の中心と分派である私とが

不二一体となることであります。

私が大御名を称えまつる伊吹と

宇宙の中心と分派である

私の伊吹とが一つになって

統一されるとともに、

宇宙の中心とあらゆるものが一つに統一され、

と同時に私と宇宙のあらゆるものも

共に統一されるのであります。

私の伊吹が宇宙の中心と分派に行き届くと同時に、

宇宙の伊吹は私の身に集まり、

私はますます霊的に尊厳なものとなります。

と同時に、宇宙もまたその分々微々の直(なお)霊(ひ)が開発されて、

尊厳あるものとなります。

言い換えますと、

私が宇宙万有の繁栄、幸福を祝福するので、

宇宙もまた私の繁栄、幸福を祝福するのです。

私が、宇宙万有を愛する念力に感応して、

宇宙万有も、私を愛する念力が私に集まり、

私も御中主太神に導かれ統一され、

宇宙万有も 太神に導かれ統一され、

どちらも皆 御中主太神の大御心を顕わし、

互いにつながり統一して

天御中主太神に帰入し同化して、

天御中主太神になるのであります。

何と有難いみ教えではございますまいか。

歩いていても 坐っていても

一念一念一言一言

大御名をとなえまつりますと、まつるほど、

私と宇宙万有とが向上し

繁栄するのでございます!

私が 大御名をとなえまつることは

天御中主太神に導かれ統一されて、

となえさせられるのでございます。

けっして私の力だけでとなえまつることはできないのでございます。

それは主観的にも心に思い、客観的にもそれを目的とするのでなかったならば、

けっして大御名をとなえまつることは出来ないのでございます。

天御中主太神がおられなかったならば、

どうしてとなえまつることが出来ましょうか。

天御中主太神ととなえまつることが出来ますのは、

天御中主太神が

私の主観的な心に御入りになって、

私に自覚させ給うからでございます。

天御中主太神の大御心が

稜威に反応しその心に導かれ、

自分でも知らず知らずのうちに

天御中主太神と

となえまつるようになるのでございます!

ですから私が自分でとなえまつるのではなく、

天御中主太神が私を導いて

となえさせ給うのでございます。

あなかしこ!

これは全く天御中主太神に導かれ

それに統一された証(あかし)でございます!

この証を受け、統一された私は

何という仕合せ者でございましょうか。

天御中主太神に導かれている身であり、

生かされている身であります。

今からの私は、

高い高い、深い深い、宇宙行路が定まり、

私が生まれて来た源(おおもと)までも

知ることができました。

人間の生命は宇宙のあらゆるものと共に、

皆その出て来たところに還ると聞いていましたが、

私は今その、帰って行く所を知るとともに

生まれて来た所の始めまでも

悟ることが出来ました。

何という仕合せものでございましょう!

嬉しや嬉しや、私の身の出て来た所と、

帰って行く所とを知りました。

そうして更に

宇宙のあらゆるものは唯一つの根から生まれ、

すべてのあらゆるものが皆一つであるということが、

充分にわかりました。

と同時に、ものみなを思いやる心があふれ、

私が宇宙万有を祝福いたしますと

宇宙万有も亦、私を祝福してくれます。

ですから、私の行く所

天地のあらゆるものが

みんな私を喜び迎え私と仲よくなるのです。

私を迎え私と親しむから、

私の思い、私の言葉、私のすることは

彼等はみんなほめたたえ、

私のする一切のことは

平穏に淡々と進み行なわれ、

私のする仕事は、

日に月に年に盛大に

弥栄えに栄えるばかりでございます。

何という仕合せでございましょうか。

これ全く、天御中主太神に導かれ

統一されているからでございます。

この仕合せを感謝し

いよいよますますつつしみかしこんで

天御中主太神を

たたえまつり実行せずにはおられません。

人生と宇宙とに

尽くさずにはおられません。

私が天御中主太神と

となえまつりながら進んで行く時、

私の周囲環境の同胞民族同胞人類が感化して、

私と共に天御中主太神の声を聞き、

知らず知らずに天御中主太神を

となえまつるばかりではなく、

木も草も虫もけものも

天地のあらゆるものが、私の感化を受け、

その一つ一つの内に潜んで居る直霊が

それを聞いて大御名をとなえながら

進んで行くのでございます!

そうして、私は宇宙の一切を率いて、

天御中主太神にとけ入り一つになり、

私の一歩は宇宙万有の一歩となり、

大勇者、大先達となるのでございます。

なんという仕合せ者でございましょうか。

私が唱えまつる大御名が、

全宇宙に波打ち、

宇宙のあらゆるものの直霊が

共々に響き合って

その分々微々の直霊が開発され、

心も、からだも一つになり

この世もあの世も一つになって

神と現われ神となるのでございます。

区別も差別もその立場が違うだけで、

因ってたつ本質はただ一つでございます。

因果による幸せ、不幸せも

より合わせた縄のようなもので、自然に

めぐりめぐっているにすぎません。

唯一つのこの上ない神界を

自分の身をもって現わし、

比べもののない、

まことの神の国を自分の体で実現し、

その大本も枝葉も

決して二つではなく一体で

みんな同様に

天御中主太神に、とけ入り一つになるのです。

一人がその回りを感化するだけでも、

そのおかげはいうまでもなく

尊いことでございますが、

ましてひろい世界の国々につきましては

とても言葉ではあらわすことはできません。

ただの一声も決して小さくはなく

幾千万の声も決して大きくなく

言葉の中にはたらき・実行があり

行いの中にことだまがあり、

言葉も行いも決して二つではございません。

 

天 御中主太神(あまのみなかぬしのおおかみ)

天御中主太神

天御中主太神

太神大神稜威赫灼尊也哉(おおかみおおかみみいづかがやくとうとしや)。

太神大神稜威赫灼尊也哉。

太神大神稜威赫灼尊也哉。

(故 浜垣恒先生寄稿)

口語訳 文責 谷本久雄

 

あとがき

谷本久雄

本書は、昭和四十三年香川県出身の門弟、故浜垣恒(ひさし)先生からいただいた、故川面凡児先生の遺稿 “大御名奉唱” の秘儀を一般の方々にも判り易くと再び口語訳したものでございます。

しかし、まだまだ不本意なところが多々ございます。お気付きの点がございましたら、どうかご教示いただければ有難く存じます。