ここでは、稜威会の宣言書をご紹介します。
   宣言書は、明治39年に川面先生が書かれたものです。

    


摂理ある一神教 統一ある多神教
神我一体の稜威 神人啓発の活火

稜威会宣言

世界邦土、いやしくも人類の存在するところ、その信仰解釈実行に文野高卑ぶんやこうひの別こそあれ、ひとしくこれ人生宇宙の根本大本体を尋ねつつ、これを信仰し、これを解釈し、これを実行し、さらに、これに向上同化するをせざるはなし。その期するところは、ひとしくこれ人生宇宙の根本大本体なり。吾人ごじん日本民族の先人は、その根本大本体を尊びて天御中主太神あまのみなかぬしのおほかみとなえ、支那は天としょうし、上帝しょうていと称し、印度は「ドーヤス」と称し、梵天ブラマと称し、仏陀ブツダと称し、波斯ペルシャは「ゴダ」と称し、巴比倫バビロンは「ベルース」と称し、猶太ユダヤは「エホバ」、亜刺比亜アラビアは「イーラ」、希臘ギリシャは「ゼウス」、埃及エジプトは「ファラオ」、英、米は「ゴッド」と称するがごとく、いづれも皆、その国発達の思想言語をもって、人生宇宙の根本大本体を尊称しつつ、これを信仰し、これを解釈し、これを実行し、さらにこれに同化還元するを期しつつあるものなり。その言語名称こそ、その信仰解釈実行の形式こそ異なれ、その実は同じ。ひとしくこれ人生宇宙の根本なり、大本体なり。しかるになんぞ、自国発達の信仰思想、自国慣用の言語名称にあらざれば、真実なる人生宇宙の根本にあらず、大本体にあらずとなす。(とつ)、咄、咄、怪事かいじ。天上天下いづこにか、この理ある。これ、全神教としての大日本世界教のおこり来りて、その確執(かくしつ)を打破し、その信仰解釈実行の統一を期する所以ゆえんなり。
 いかにその信仰解釈実行の形式において、文野高卑の別あればとて、一として邪道のみのものなく、魔法のみのものもなく、ひとしくこれ根本大本体の天照てんしょうなり、発顕はっけんなり。天照発顕としての一大活躍体かつやくたいなり。正邪一道、神魔一体、あるいは正となり、あるいは邪となり、あるいは神たりつつあるに過ぎず。いづくんぞいはんや、その正なるもの、いまだ必ずしも正ならず。その邪なるもの、いまだ必ずしも邪ならず。魔、魔にあらず、神、神にあらざるものあるにおいてをや。しかるに何ぞ、各国各人とも、自国自身に発達慣用したる所の信仰、思想、言語、解釈、名称、実行等にあらざれば、ことごとく他をもって邪となし、魔となし、迷妄堕落となす。これ蓋し、太古中古は、山河懸隔さんがけんかくして、雲烟漠漠うんえんばくばくたり。自国自身あるを知るのみ。自国発達の思想言語あるを知るのみ。また、かつて他国他人あるを知らず。これその彼我ひがの見よりこのへいおちいりたるものにして、境遇上やむを得ざるの結果なりとす。すなはち、やむを得ざるの結果なりといへども、すでにすでに世界列国、相互に交通して一世界たるの今日、なほかつ、古昔野蛮こせきやばん僻見へきけん因襲確執いんしゅうかくしつし、依然いぜんもって人生宇宙の根本大本体を信仰、解釈、実行せむとするも、これ決してそのまったきに達しべきものならんや。過去千万年の信仰、解釈、実行は、過去千万年の人人にして。今日文化発達せる千万年以後の人々は、文化の発達とともに、全信仰、全解釈、全実行に帰らざるべからず。これけだし、人生宇宙根本大本体の天照発顕として、天照発顕の漸漸(ぜんぜん)次第に発達しつつしかるものなればなり。全神教としての大日本世界教は、実にその根本大本体の天照として発達して、その全信仰、全解釈、全実行をもって興り来るものとす。
 今や、人類の信仰、解釈、実行は、ほとんど滅裂壊爛(めつれつかいらん)し、個人の統一、家庭の統一、国家の統一、世界の統一期すべからず。個人の自由平和、家庭の自由平和、国家の自由平和、世界の自由平和期すべからず。試みに見よ。列国いたるところ幾多の宗義あり、学説ありといへども、その宗義学説たるや一、甲げきばく紛紜喧囂ふんうんけんごうとして停止するところなく、それたいづくにか適帰(てきき)すべきぞ。世界万衆のこれに迷はざるもの、ほとんど稀なるにあらずや。特にその宗義学説を主張する人々にして、まず、その信仰を破り、実行を乱るもの、比比ひひとしてしかり。そのよく毅然凛然(きぜんりんぜん)として、千古万古の標準大標準たり得るもの幾許いくばくかある。これその宗義学説は、すでに既に陳腐固陋ちんぷころうし、またもって、高く世道を発揮し、強く人身を警戒するの威厳いげん、大威厳なきものたるをしょうすにたる。世界人類は、実に不安の危地にのぞめり。危惧煩悶きぐはんもん、一日ももって満足し得べからざらんとす。その信仰は薄弱にして統一なく、言行は散漫蕩尽さんまんとうじんして統一することあたはず。果然かぜん、世界至るところ、救を要求し、個人も要求し、家庭も要求し、国家も要求し、世界も要求してやまず。つひにもって全神教を要求し、大日本世界教を要求するに至る。これ全神教としての大日本世界教のおこり来りて、その信仰を統一し、解釈を統一し、実行を統一し、世道の解頽かいたいを救ひ、人身の腐敗ふはいを救ひ、もって個人を統一し、家庭を統一し、国家を統一し、世界宇宙を統一し、各自、按分平等あんぶんびょうどうの自由幸福平和を獲得せしめんとする所以なり。獲得せしめて、その要求を満足せしめんとする所以なり。
 全神教としての大日本世界教は、在来の宗教にあらず。特に神官、僧侶、牧師といふがごとき階級なし。何人といへども、全神教にみそぎし、大日本世界教にはらひして、その信仰、解釈、実行を個人に顕彰(けんしょう)し、家庭に顕彰し、国家に顕彰し、世界宇宙に顕彰するものは、ひとしくこれ同胞同人なり。その同胞同人の集合体を名づけて稜威会みいづかいと称す。稜威会員は君に対すれば臣なり、民なり。父母に対すれば子なり、孫なり。ないし、夫婦、兄弟、姉妹、師友に対すれば、夫婦、兄弟、姉妹、師友なり。人類に対しては同胞なり。万有に対しては大同胞なり。神に対しては神子、天孫なり。特に神官、僧侶、牧師といふものあることなし。宗教とし云へば、人人すべて宗教者たり。稜威会員は、特に宗教家たるをせず。ただこれ万有たるを期す。人類たるを期す。君臣、親子、夫婦、兄弟、姉妹、師友たるを期す。神の子たり、神たり、太神たるを期するのみ。個人、家庭、国家、世界としての模範のりを垂れつつ。
 きたれ、人類万有、来りて、
 自己を知れ、自己を愛して神となれ、同胞を知れ、同胞を愛して神となれ。神となりて自己同胞どうほうたれ、自己同胞として神たれ。さらに、自己同胞一体としての神たれ。太神おほかみたれ。太神として、神としての、自己同胞一体たれ。個人を知れ、家庭を知れ、国家を知れ、世界を知れ、各界を知れ、人世を知れ、宇宙を知れ。しかうして個人たり、家族たり、国民たり、人類たり、万有たるの天職責任をくせ。
 来れ、人類万有。来りて、
 神より出ずる者は神にかえるを知れ。人人その安危あんきに際し、念念、神をおもひてやまざるものは何ぞ、これ神より出でたる身なるをもって、その本に還るものたるを知れ。いかに花をて月を望むの人人も、神に達すれば満足す。人類万有は神以上を望むあたはず、思ふ能はず。これ神は人生宇宙の根本大本体たるを知れ。一念一言一行の帰着きちゃくするところあるを知らば、その一身一家一国一世界の帰着するところなかるべからざるを知れ。
 そもそも、その念念、言言、行行とは、如何いかにして発するかを思へ。これ信仰より発し来るにあらずや。しかれば言行の帰着きちゃくするところとは、信仰の帰着するところたるを知れ。
 信仰の帰着、実行の統一なきは、発狂者ならずや。一身一家一国一世界と、各界と全宇宙との帰着統一するところを知らざるものは如何いかに。信仰せよ信仰せよ。一身一家一国一世界と各界全宇宙との信仰統一の帰着する大信仰あれ。自己を信仰し、神を信仰し、神我一体を信仰して疑はざれ。断じてあやしき祈祷きとう加持かじ卜占ぼくせん幹支かんし方角ほうがく等に迷はざれ。自己のおもふところは、これ神の念ふところぞ。神のほどこすところはこれ自己のなすところなるぞ。思ひ立つ日は吉日吉時。向ふところは吉方吉所。人生、宇宙、また、神としての我、我としての神に敵する悪魔外道のあるべきかは。それよ、神我一体たる我としての神、神としての我は、安全なり。幸福なり、最も大胆だいたんに、猛烈に、堅氷烈日(けんぴょうれつじつ)、その念言ねんげんするところを断行だんこうせよ。最も温和に、平穏に、春風霽月しゅんぷうせいげつ、その念言するところを静行せいこうせよ。悪魔来らばこれを救へ、外道来らばこれをせよ。いはんや悪魔外道ならざる八百万神においてをや。生殺与奪せいさつよだつなんじにあり。それよ、神我一体の稜威みいづには、悪魔も化して神となり、外道も化して神たるを知れ。八百万神は汝の前後左右にあり。汝が太神の使命をまっとふするを喜び、神おどりに躍りて、汝の壮挙を賛美激賞さんびげきしょうするを知れ。
 来れ、人類万有。来りて、
 自観(じかん)せよ、他観たかんせよ。大自観し、自観中他観あり、他観中自観あり、大自観中に大他観あり、大他観中に大自観あり、総観そうかんし、分観ぶんかんし、相互観し、主宰観しゅさいかんし、派生観はせいかんし、表観ひょうかんし、裏観りかんし、統一大統一観し、百八観、千八十観、一万八千八百八十八億無数観して、大稜威観、英霊観みたまかん八百万神観やほよろずのかみかん太神観おほかみかんをなせ。しかうして、生を知れ、死を知れ、死生の一体を知れ、死生の一体を知りて、さらにその発顕帰着するところの本体大本体を拝しつつ、そこに光耀赫灼こうようかくしゃくとして、大稜威かがやく大慰安だいいあんを得よ。
 それよ、神は不可思議のものにあらず。なほ自己の思議しぎすべく、思議せざるべからざるがごとし。何人といへども、自己を思議し、神を思議せざるべからず。自己を思議し、神を思議して、自己と神との何物たるを知らざれば満足するものにあらず。
 しかるに古より今に至るまで、西も東も、まったき神を思議し、全き自己を思議するあたはざるは(なん)ぞ。他なし、東西古今の宗教、哲学、科学は、いまだもってそのいづれも、皆、宇宙万有の出発点あれば到着点なく、到着点あれば出発点なく、出発点は、すなはち、到着点として、出発、到着、不二一体のものあることなく、またその宇宙万有の出発する位置を示し得たるものは、いづれの宗教にも、いづれの哲学にも、いづれの科学にもこれ無きとともに、その出発する状態と帰入する状態とを示し得たるものもあることなし。ましてや、その神と云ひ、仏と云ひ、本体と云ひ、いづれも皆、輪郭的説明にとどまりて、内容の説明欠乏しるにおいてをや。これその本源が、いづれの宗教も、いづれの哲学も、いづれの科学も、明瞭ならざるがために、真実まことに自己を思議し、神を思議して、自己と神との何者たるを知ることあたはざる所以ゆえんなりと知れ。
 そのく宇宙万有の出発する位置を垂示すいじし、出発点はすなはち到着点たることを垂示し、また、その出発帰入する状態をも垂示し、神の輪郭と内容とを明瞭に垂示し、自己と宇宙万有との出発活動帰入する所以ゆえん行路こうろと、その実質実体の内容外形が、不二一体の統一体系より成立しることをも垂示しある者は、独り祖神の垂示なり。故に祖神の垂示によれば、自己をたずねて神に達し、太神に達することかたきにあらず。
 来れ、人類万有。来って、
 一日も早く自己を尋ねて神に達し、太神に達し、神我一体として、人生宇宙に国駆くにかけけれ、天翔あまかけれ。宇宙は広し、世界は多し、ただそれ汝の欲するところに向って、飛躍、大飛躍せよ。
 来れ、人類万有。
 今汝は何をしつつあるか。
 そのおもふところ、その言ふところ、その行ふところは如何に。神と共に念ひ、神と共に語り、神と共に行ひつつあるか。
 しかれば、汝の前途は平安なり、幸福なり。あやぶまざれ、恐れざれ。心広く、体胖たいゆかかに、全身の英霊、高くその稜威みいづ天照あまてらしに天照しつつ、尽十表じんじっぴょうその欲するまにまに、伊都いづ雄健(おたけび)雄誥おころびつ、たけく、矢竹やたけに、勇みに勇みて、国駆けれ、天翔けれ。
 宇宙は広し、世界は多し、皆それ汝ら本有の領土なり、楽園なり。あなかしこ、人生宇宙、稜威赫灼尊也哉みいづかがやくたふとしや
 明治三十九年丙午ひのえうま年十一月吉日天照

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