川面凡児先生年譜並びに稜威会年表です。川面凡児先生帰幽後の稜威会のあゆみについては、こちら



 川面凡児先生年譜並びに稜威会年表

1862(文久2年)1歳 大分県宇佐郡小坂村に生る。川面仁左衛門次男。幼名を隆司と呼び後恒次と改め、更に凡児と改称す。両親の膝下に育つ。
1867(慶応3年)6歳 大分県宇佐郡長洲村在の伯父溝口千秋に養わる。
1873(明治6年)12歳。恒藤精斎先生の塾に学ぶ。
1874(明治7年)13歳。恒藤先生の塾を退学す。
1876(明治9年)15歳。馬城山に入る。
1877(明治10年)16歳。十月豊後草地村鴛海涵養塾に入学す。
1878(明治11年)17歳。鴛海涵養塾在学。
1879(明治12年)18歳。三月鴛海塾退学。熊本市溝口潤太郎氏方へ身を寄す。
1882(明治15年)21歳。熊本県益城郡隈庄町に稚竜同盟谷を開き子弟を教育す。
1883(明治16年)22歳。この一年一時鴛海塾にかえり、なお薩摩に遊ぶ。
1884(明治17年)23歳。稚竜同盟谷に子弟を教育す。後一時長崎市行余学舎に学ぶ。
1885(明治18年)24歳。東京に上り苦学し具に辛酸を嘗む。
1886(明治19年)25歳。勉学の余暇新聞雑誌に寄稿して生活の資となす。
1887(明治20年)26歳。厳父帰幽。仏典専攻。黒田真洞師について学ぶ。文筆生活。
1889(明治22年)28歳。伝通院に入る。文筆生活。
1890(明治23年)29歳。伝通院を去る。
1891(明治24年)30歳。母堂令兄上京。同上。文筆生活。
1892(明治25年)31歳。仏学専攻。淑徳女学校の創立に関与す。文筆生活。
1893(明治26年)32歳。仏学専攻、淑徳女学校の名誉員となり、国語漢文を教授し、傍ら浄土宗宗学支校にも教鞭をとる。文筆生活。
1894(明治27年)33歳。同上。
1895(明治28年)34歳。同上。
1896(明治29年)35歳。同上。この年より教育の余暇自由党報に執筆主宰す。
1897(明治30年)36歳。同上。
1898(明治31年)37歳。同上。
1899(明治32年)38歳。八月淑徳女学校および自由党報を辞し、長野新聞主筆として赴任。
1900(明治33年)39歳。この年九月長野新聞社を辞し帰京、やまと新聞、日本新聞等へ寄稿文筆生活をなす。引続き仏典を専攻す。
1901(明治34年)40歳。この年の春紀州熊野実業新報主筆として赴任、四ケ月間在社の後帰京。専心大日本世界教発表の準備に着手す。
1902(明治35年)41歳。同上。
1903(明治36年)42歳。同上。
1904(明治37年)43歳。同上。
1905(明治38年)44歳。同上。
1906(明治39年)45歳。四月稜威会創立。毎月二回拝神講演。大日本世界教宣明書出版。
1907(明治40年)46歳。四月稜威会本部を谷中初音町へ移転して遷宮式を拳ぐ。長野県に行き、はじめて地方における講演をなす。
1908(明治41年)47歳。一月機関雑誌「大日本世界教」発行。長野県にて講演。
1909(明治42年)48歳。一月相州片瀬において第一期大寒禊を執行す。毎月二回神田区井上氏邸にて講演。一月浜松地方講演。
1910(明治43年)49歳。第二期大寒禊執行。長野県・新潟県、京都地方講演。
1911(明治44年)50歳。第三期大寒禊執行。二月静岡県下講演。
1912(大正元年)51歳。第四期大寒禊執行。八月明治天皇御大葬遥拝式執行。九月「日本最古之神道」出版。
1913(大正2年)52歳。第五期大寒禊執行。福島・静岡、両県下講演。三月「日本民族宇宙観」出版。
1914(大正3年)53歳。第六期大寒禊執行。毎月錦秋女学校にて講演。福岡市にて講演。他に八代海軍大臣官邸、平沼検事総長官邸、藤山雷太氏邸にて講演。十二月古典攷究会創立。
1915(大正4年)54歳。第七期大寒禊執行。毎月古典攷究会にて講演。司法省にて講演。千葉県下講演。八月武州御嶽山にてはじめて夏禊執行。古典講義録出版。神典宣義出版。宮中へ奉献。
1916(大正5年)55歳。第八期大寒禊執行。四月谷中初音町より本部上野桜木町へ移転。毎月古典攷究会にて講演また東京慈恵医学専門学校並に錦秋女学校にて講演。五月新潟県下講演。八月埼玉県下講演。同月長野県戸隠山にて夏禊執行。十月大日本婦人教育会議演。十一月広島県下講演。同月福岡県下講演並びに修禊。
1917(大正6年)56歳。第九期大寒禊執行。四月横浜本牧にてはじめて桃の禊執行。八月はじめて軽井沢相生滝の夏禊執行。毎月古典攷究会ならびに慈恵医学専門学校修徳会にて講演。地方の禊は興津、宮島、大宮、福岡、氷見山、英彦山、檍原、相州大山、熊本水前寺にて開催。講演は千葉師範、京都神職会、岡山神職会、福岡神職会、熊本県下菊池町、八代町、熊本市、山口県徳山市、愛知県、富山県、広島県、山口県にて開催。古典攷究会閉会。
1918(大正7年)57歳。第十期大寒禊ならびに専修禊、第二期軽井沢の夏禊執行。地方主催の禊は、長府、奥津、熊本、大宮、筥崎、香春、人吉、宮崎、竹原にて開催。この年秋より病臥。
1919(大正8年)58歳。第十一期大寒禊と他に専修禊、第三期軽井沢の夏禊執行。五月片瀬にて桃の禊執行。地方の禊は、大宮、英彦山、糸島にて開催。名古屋にて講演。三月「わがはは」出版。
1920(大正9年)59歳。第十二期大寒禊。第四期軽井沢の夏禊執行。五月より上総一の宮第一期桃の禊開催。六月華族会館にて講演。地方の禊は福島県、熊本県、福岡県にて開催。講演は福岡県糸島郡、福岡市、熊本県、福井県各地にて開催。
1921(大正10年)60歳。第十三期大寒禊。第二期一の宮桃の禊、第五期軽井沢夏禊執行。二月十八日社団法人稜成会申請許可。三月稜威青年会創立。五月床次内相官邸にて講演。八月満洲巡講、九月帰京。地方主催の禊は、福岡市百道浦、熊本県赤瀬浦、日光二荒山神社、満洲の旅順、撫順にて開催。講演は愛媛県下各地、福岡県、満洲の大連、奉天等にて開催。一月「社会組織の根本原理」出版。
1922(大正11年)61歳。第十四期大寒禊。第三期一の宮桃の禊、第六期軽井沢の夏禊執行。四月令兄川面庸三氏帰幽。十一月全国神職大会にて講演。地方の主催の禊は神戸須磨の浦、熊本県赤瀬、福岡、宮地、徳島県勝浦、京都空也、福岡市百道浦、相州大山、大分県春日浦にて開催。講演は福岡県下各地、大分県、愛媛県、熊本県、神戸、淡路島等にて開催。十一月東京市外大久保宣明所開設。
1923(大正12年)62歳。第十五期大寒禊。第四期一の宮桃の禊、第七期軽井沢の夏禊執行。六月本部大久保移転。九月関東大震災に処する建議書を提出す。内務省主催全国神職大会にて講演。地方主催の禊は熊本県赤瀬、兵庫県明石九艘浦、福岡市有遠、愛媛県、徳島県勝浦、滋賀県長浜、福岡市等の各地にて開催。講演は神戸市、徳島県下、愛媛県下、長野県下、大分県下、福岡県下各地にて開催。
1924(大正13年)63歳。第十六期大寒禊、第五期一の宮桃の禊。第八期軽井沢の夏禊執行。八月摂津国能勢にて病臥十月帰京。地方主催の禊は福岡市百道、熊本県赤瀬、奈良県竜田・日光中禅寺・武州御嶽山、福岡県雷山、大阪府下能勢等にて開催。講演会は福岡県下各地、熊本県・新潟県、秋田県各地、神戸にて開催。
1925(大正14年)64歳。第十七期大寒禊・第六期一の宮桃の禊、第九期軽井沢の夏禊執行。二月恢弘会主催講演会に出席。地方主催の禊は日向の檍原・福岡市百道、熊本県赤瀬、下関筋ケ浜にて開催。講演会は福岡県、熊本県、愛媛県・山口県、大分県、兵庫県、秋田県、長野県、各地にて開催。
1926(昭和元年)65歳。第十八期大寒禊・第七期一の宮桃の禊、第十期軽井沢夏の禊を執行。本年よりはじめて第一期小寒禊を開催す。十二月大正天皇崩御遥拝式執行。六月天照太神宮出版宮中に奉献。地方主催の禊は神戸須磨浦、静岡県大宮、熊本県赤瀬、福岡市筥崎、山口県吉田、熊本県菊池、新潟県寺泊にて開催。講演会は靖国神社、大分県、熊本県、福岡県、山口県、新潟県、神戸市等にて開催。
1927(昭和2年)66歳。第十九期大寒禊、第二期小寒禊、第八期一の宮桃の禊、第十一期軽井沢の夏禊執行。二月御大葬遥拝式執行。市外海城中学、国士舘中学にて講演。十二月「憲法宮上巻」出版。地方主催の禊は神戸駒林、福岡県、熊本県球磨川、新潟県鯨波にて開催。講演は福岡県、山口県各地にて開催。
1928(昭和3年)67歳。第二十期大寒禊、第三期小寒禊、第九期一の宮桃の禊。第十二期軽井沢夏禊執行。九月「天照太神宮続篇」、「安心立命宮」、「信仰宮」、「太神宮」、「憲法宮中下巻」出版、宮中へ奉献。十一月御大礼奉祝遥拝祭執行。地方主催の禊は軽井沢少年禊、神戸芦屋浦、神戸六甲山、山口県白水池、秋田県脇本浜、熊本県隈府、新潟県鯨波、福岡市百道、講演会は長野県、秋田県、大分県、神戸市にて開催。
1929(昭和4年)68歳。第二十一期大寒禊、第四期小寒禊執行。二月六日病臥。二月二十三日帰幽。三月三日葬儀、東京府下北多摩郡多摩墓地に埋葬。
                      以 上
本会設立当時に於ける役員左の通り
会 主       川面  凡児
理 事(総務)   須永  武義
 仝 ( 〝 )  寺垣  猪三
 仝 ( 〝 )  中村  愛三
 仝        森久保 作蔵
 仝        国分  利郎
 仝        葦津  耕次郎
 仝        松本  隆治
 仝        奥沢  福太郎
 仝        新村  寅次郎
設立者総代     須永  武義
会員数       669名

大正13年4月   須永会長の後任に馬場愿治氏就任



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